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「潮汐の間」と「日本空襲デジタルアーカイブ」

「潮汐の間」という小説を日本語で書き、3月に出版した。初めての小説で、フィリピン占領日本軍から通訳を強いられる、日本人とフィリピン人の混血青年ラミールと、19歳の森二等兵の経験を通し、ルソン島のある村に起きた悲劇を描いている。

なぜアメリカ人がこんな内容の小説を書くのか?

私は1972年12月7日、ユタ州プロボーで生まれた。周りの人から誕生日が「日本軍の真珠湾攻撃の日だね」とよく言われ、小さい時から日本とアメ リカの戦争をなんとなく意識していた。その上、家族には戦争体験者が多かったため、戦争の話を聞く機会がたびたびあった。曾祖父は第一次世界大戦の塹壕戦 で勇敢に戦ったと聞いていたし、父方、母方の祖父も日米戦争の時は水兵だった。三歳年上の兄と私にとって、この三人は英雄だった。

それから、父もベトナム戦争で衛生兵として志願した。当然、私は父のことも祖父たち並に自慢に思っていた。だが、小学校に上がる前のある時、戦争の 話をせがんだら、父に答えてもらえなかったことがあった。しかも、その後に兄と二人っきりになると、「バカ、お父さんは戦争の話なんかしたくないんだよ」 と叱られ、戦争に複雑な面があることをこの時初めて知った。

十数年も経ち、1991年に来日し、かつての「敵国」で暮らすことにより、私は改めて戦争について考えさせられた。「日本とアメリカが戦った、あの 戦争はいったい何だったのだろう」という、この時の疑問が今回の小説の根っこにあるのかもしれない。独学で日本語を覚えてから、元来歴史が好きなため日米 戦争の歴史について調べ始めた。

特に興味を持ったのは大日本帝國陸軍だった。「標準語」の成立を促進するなど、陸軍組織が日本の近代化に尽くした面も大いにあり、いろいろな意味で 立派な軍隊だった。しかし、日中戦争以降、非戦闘員の虐殺や捕虜の虐待という事実もあり、兵隊をこのような行為に到らせたのは何か、その原因は軍隊にある はずだと考えるようになった。下級兵をいじめで鍛える独特の訓練、軍人勅諭や戦陣訓、食糧の現地調達思想などは世界的に特異な要因だからだ。

帝國陸軍史以外、戦時中に日本が受けた空襲についても私は非常に興味がある。小説の資料集めで神田の古本屋街にはよく行き、そんな時、約10万人が 亡くなった1945年3月10日の東京大空襲のことも知り、衝撃を受けた。体験者の手記を読むと、川に飛び込んで逃げようとする人たち、子供をかばって炎 に包まれる親のことなど、悲惨な話ばかりだ。アメリカでは機上からの情報しか知るすべがなく、地上の人々に何が起きたか、まったく知られていないことに心 が痛んだ。

東京大空襲・戦災資料センター(江東区)も訪れ、日本語しかなかった展示品の説明文を英訳し、一昨年夏、同センターを訪問したニューヨーク市立大学 のケリー・カラカス准教授から連絡があった。空襲研究が専門のカラカス准教授と会って、一緒に被災地となった下町を歩いているうちに、東京空襲のことを もっと世界に知らせるためアーカイブを作ろうと意気投合した。

カラカス准教授が米国立公文書館に通って米軍側の資料を集め、私が日本の被災者の体験など日本側の資料をまとめてデジタル化し、昨年11月末、日英2ヵ国語のサイト「日本空襲デジタルアーカイブ」を 立ち上げた。現在アーカイブに収録されている米国側公文書には、戦略爆撃調査団報告書、B29乗組員用マニュアルや作戦任務報告書などで、空爆時に撮影さ れた東京、名古屋、大阪など主要都市の写真もある。誰でも閲覧できるので研究者や専門家だけではなく、多くの人に利用してほしいと私たちは願っている。

「潮汐の間」はフィリピンが舞台だが、次は東京大空襲について書くつもりだ。民族意識などを超えて、「人間」の物語を書き続けたい。自分が子供の時 から感じている戦争歴史に対する疑問に答えるためでもあるが、読者にも何かを感じ取っていただければ、これほど嬉しいことはない。